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作品名記述者記述日
LOST LAND/ロストランド唸るバクテリア2026/09/04★★★★

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ちょうど谷間なスケジュールの中、どこへ行こうかと迷った結果そういえば今年はポレポレにまだ行っていない。
というわけではないのだけど、「LOST LAND/ロストランド」をポレポレ東中野で見ました。
海辺の彼女たち」の藤元明緒監督は、ちょっと気になる監督なので見に行く候補に入ってはいたのだけど、上映タイミングもちょうど良いとこでした。
で、着いてみたら、えっ?監督来てるの?ってことで、まさかの2回連続で監督登壇回に遭遇してしまうとは。

それはともかく、なんて終わり方するんですかね!
もうグッタリしてしまいましたよ。
グゥの根も出ないというか、打ちのめされるしかない。
いっそ、あそこで姉のソミーラ as ソミーラ・リア・フッディンが出てきて、ファンタジーで終わらせてくれた方が、どれだけ気が楽だったことか!
ロンヒンギャの映画なのは知っていた。
姉弟の映画だとも知っていた。
けれど、ここまで行くか・・・ちょっと侮っていた。
フェイクドキュメンタリーチックではあるのだけれど、日本的な言い回しをするならば「実録難民もの」なのだ。
したがって、なんとなく知っていたことのリプライズでもあるのだけど、リアリティラインの水準が高い。
14日間舟の上にいることとか、結局、どこに着くかなんてわかってなくて、マレーシアじゃなくタイの南に着いちゃうのだ。
ロンヒンギャの、つまり、バングラデシュにいた時点でケータイ持ってるのに、海の上ではGPSを使わないのだ!!!(たぶん電波で測位されちゃうから)
結果どうなるって、海上で人が死に、陸に上がるところで湾岸警備隊に見つかって、タイの国境を越えようとしたら何故か違法移民エージェントに撃ち殺されるのである。

随所に張り巡らされる小さな罪悪感と、1mmも罪悪感のない大きな力の濫用だ。
主人公側に張り巡らされた小さな罪悪感が、救われかけたソミーラの良心を呼び覚ましたと考えるのは考えすぎか?
実際、パンフで稲田豊史も似たような言及をしている。
そして、姉と離れた弟シャフィ as ムハマド・ショフィック・リア・フッディンは急激に口数が減る。
姉ソミーラを置いてきてしまったという罪悪感であり、自分だけが生き延びてしまったという罪悪感である。
その罪悪感が、ラストシーンにシャフィを誘うのだ。
どこの世界にも「達磨さんが転んだ」的な遊びはあって、
パンフでは韓燕麗が書いているとおり、夢の断片という解釈はたしかに成り立つ。
けれど、もうグッタリしてしまいましたよ。
グゥの根も出ないというか、打ちのめされるしかない。

とはいえ、と言葉をもうすこしだけ継ぐ。
監督はなんだかんだで良い人だな。と思った。善良な人なのだ。
決定的な人の死は撮さない。
もう既に、今もなお、蹂躙されているロヒンギャの人たちを映画の中で殺す必要はない
逆説的には、監督が共同プロデューサのジェウディン・カリムディンのコメントの通り、自由の無いロヒンギャの民には映画で死ぬ自由すら無いのだ。
さらに逆説的な話をすると、パスポートを持たないロヒンギャの民は、バングラデシュもタイもマレーシアにも入国して映画が撮れる自由があるのだけど、日本には入国できない
ジェウディン・カリムディンだけがオーストラリアに帰化したので日本に入国できるという歪。
ミャンマー軍事政権はロヒンギャを絶対に認めないし、アウンサンスーチーもたぶん認めずに、何時までもビルマに戻れない。

ちなみにだ。難民を逃がすやみの仕事の存在はOK。わかる。あるよね。
でもさ、金精算するタイミング遅くね?あのタイミングだと、自分たちのリスクヘッジできてなくね?
もちろん追い詰めてから、高額ぼったくるのもわかるけど、頭数が減ってるわけだし、リスクに対するリターンが小さ過ぎる気がするんだが・・・
あまつさえ、上述の通り売掛金回収しないで担保の難民撃ち殺すとか意味わからんのだが(何の話だ)
あと、濱口竜介はコメントで暗さを褒めていたけれど、ポレポレの古い映写機では圧倒的にコントラストというか、白飛びしてしまってみてられないのだよなぁ。
もちろん、ポレポレ東中野ぐらいしか上映してくれる劇場も無いのだが・・・

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